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葛飾区立石の歯科医院
 
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院長 原田 昇
生年 昭和32年3月14日
出生地 埼玉県浦和市常盤町(現さいたま市)<尾花屋菓子店の長男として生まれる>
学歴 昭和41年3月 江戸川区立瑞江小学校 卒業
昭和47年3月 江東区立第2砂町中学校 卒業
昭和50年3月 私立錦城学園高等学校 卒業
昭和53年4月 東京理科大学工学部 入学
昭和54年3月 同大学 退学
昭和54年4月 城西歯科大学(現 明海大学)入学
昭和60年3月 同大学 卒業
略歴 昭和60年5月 東京杏友会 丸ビル五階歯科勤務
昭和63年4月 井上歯科医院(埼玉県所沢市)勤務
平成2年8月 葛飾区立石にて原田歯科医院開業
平成11年2月 医療法人社団昇友会設立
平成22年2月 現在地に移転



趣味

  ●ラリーと出会う
わたしの趣味といえばクルマ、船、スキー、スケート、ラジコン、あとは読書などでしょうか。

中でもクルマに関しては、かなり長いこと親しんできました。5歳の頃、広場で父の膝の上でハンドルをまわしてゆっくり動かした(違法です)のが始まりでした。

その後クルマやバイクのエンジンをかける音がすると、どこにいてもとんで来て乗ってしまう子供でした。小学生になると、すでに自分で運転が出来るまでになっており、座布団をお尻に敷いて車庫入れは私の役目でした。もちろん公道は運転していません。

 
16歳で自動二輪の免許を取り、しばらくバイクに夢中になりました。最後に乗ったのがホンダCB500Fourで、21歳ぐらいまで愛用していました。

そして、18歳になった時、やはり真っ先にクルマの免許を取りに教習所へ行きました。小さい頃から運転していた事とバイクの免許があるので、当時は最短の25時間で免許を取ることが出来たのです。

やはり免許を取ったら憧れるのがモータースポーツです。クルマ好きが集まればやはり、レースなんかの話になります。そんななかで私の友人たちの間ではサーキットで行うレースよりも、公道を使って行われるラリーに夢中になっていきました。
今でこそ日本国内で世界ラリー選手権が行われる様になり、有名になってきましたが、まだ知らない人も多いようです。知らない方のために、私が現役で競技をしていた頃の国内での競技方法を簡単に説明すると、まず基本的に一台のクルマに二名で乗車します。ドライバーとナビゲーターという形です。

競技主催者側からスタート前にコマ地図といって競技区間の交差点や分かれ道の部分だけを順番に書いてある地図とそれぞれの地点での指示速度などが書かれた指示書が渡され、ゼッケン順に大抵は1分間隔でスタートして行きます。

競技車は指示された速度でコマ地図の通りに走ります。競技車が60台いたとして、全車がぴったり指示速度通りに走ったと仮定すれば、ある地点では一台目から1分間隔で1時間かけて全車両が通過する事になります。
しかし、実際にはタイヤが空転したり色々な条件の変化により、時間通りに走るのが困難になり、これを補正しながら走って行きます。競技の途中、大抵は山の中のコーナーを曲がってすぐが多いのですが、競技車からは見えにくい場所にチェックポイントが設けられており、通過時点で笛を吹かれその時間を書かれた紙を渡されます。この時間と本来通過すべき時間との誤差を元に減点の点数が決まります。

山中の曲がりくねった細いデコボコ道での指示速度59.9Km/hだった場合、その速度で走れなければ、どんどん遅れてしまいます。そこにチェックポイントが出てくれば、遅れたぶんだけ減点になります。ゴール後すべての減点を合計して、一番減点の少なかったチームが優勝となります。

大雑把ですがこんなかたちで行われるのが当時の国内ラリーでした。
はなしを戻します。そんなわけで、ラリーに興味をもつようになってゆきました。最初のうちは実家が八百屋をやっていた関係で、配達用に使っていたサニーのバンがあったのをいいことに、毎日のように乗りまくっては親に迷惑をかけていました。

配達が出来ない事に苦慮した親は、私に車の使用を禁止するのではなく、なにを思ったのか20万円で中古車を買ってくれたのです。考えてみれば、母も実家が運送屋で小さい時からバイクやジープを乗り回し、免許が自動的に二種になる時代に免許を取っていたし、父もメグロとかインディアンとかキャブトンなんていうバイクを乗り回し、母と結婚した時、母の二種免許を見て口惜しくなり自分も二種を取ったような人です。したがってバイクやクルマにはかなり理解があったし、一度もクルマの事で反対された事はありません。

  ●ドライビングの修行〜サニー&ジェミニ時代〜
そんなわけで、買ってもらったのが私の愛車第一号 サニーGL(B-110)です。この車では実際の競技に出た事はありません。でもこの車でかなり多くのドライビングテクニックを学びました。

パワーもなく、これといった特徴の無い、ただ素直な性格だったこの車では、こんな時にこういった事をすると、車ってこんな動きをするんだとクルマの基礎みたいなものが身についた気がします。勿論ヒール&トーやダブルクラッチなどのテクニックもこの車で習得したし、今でも町乗りの時でさえ同じ操作をしてしまいます。

次に乗ったのが、私の愛車No2いすゞジェミニPF-50でした。これはとても個性的な車で、前輪がダブルウィッシュボーン、後輪が3リンクサスペンションで構成され、当時は画期的な方式と言われていましたが、ハンドルをきってから曲がり始めるのに少しのタイムラグがあり、コーナーが来てからハンドルをきったのでは遅すぎるため、かなり早くからきり始めないとコースアウトしてしまう厄介な代物でした。

新車で買ったのですが、メーカーオプションでカラーリングをして、納車の時にはすでに黄色と黒の縞模様がとてもお気に入りの車となりました。この車を買ってすぐに、歯科大学に合格したため迷わず自動車部に入部しました。偶然に自動車部もほとんどラリーが主体で活動しており、その日から車三昧の生活が始まったのです。

このジェミニが一番競技に出場した回数が多かったと思います。約四年ほどでポンコツ同然になり最後は足回りのリンクがガタガタになって、普段走っていてアクセルを踏んだり放したりするだけでお尻を振るようになってしまいました。あまりに危険なので、ついに買い換えることに。下取りには取ってくれましたが、たぶんスクラップ行きだったでしょう。


  ●ラリーで危機一髪〜スプリンターGT時代〜

次に来たのが、私の愛車No3トヨタスプリンターGT(TE-71)です。この車は第1戦までは新車の時と同じ白かったのですが、根っから派手な車が好きなので、今度は自分で塗りました。そのカラーリングであるラリーに出場をしたら、レースでは勝てなかったのですが、ベストカラーリング賞を頂きました。

この車で一番思い出に残るラリーがあります。それは、夕方スタートして順調にチェックポイントをこなし、いくつかのハイアヴェレージ区間(ハイスピードの区間)を終えていよいよ最後のスペシャルステージ(一定区間を封鎖して全速で走り、かかった秒数が全て減点、要するに早い者勝ち)を残すのみとなったときに起こったのです。
競技車量は一旦一箇所にプールされて、秒読みスタートを待つのですが、私たちの後ろにいたチームの一人が我々の車のところにやってきて何か叫んでいるのです。聞いてみるとガソリン臭いから車を調べろということらしい。急いで後ろにまわって車の下をライトで照らすと、なんとガソリンがポタポタ我が愛車のお尻から垂れているではありませんか。

それを見た瞬間、「たばこ吸うなよ〜」という声がどこからとも無く広がって行きました。思い起こせば確かハイスピード区間でトランクルームの下あたりを岩にヒットさせた覚えがありました。リタイヤするかどうするか、多分今まではほとんどノーミスで来ているから、この最後のスペシャルステージを走りきれば優勝かもしれない。こんなやりとりをナビとしている間にガソリンは漏れ続けている。

ふと思い出したのが、トランクにしまっておいた石鹸でした。私はこれを燃料タンクガードの隙間から、ゴシゴシとタンクの裂目にすり込んだのです。するとピタッとガソリンの漏れが止まったではないですか。これならなんとかゴールにたどり着けるかも知れないと思いました。
 
しかし、また岩にヒットして火花でも飛散ったときには、西部警察の撮影現場と同じ状況になるだろう事は想像できます。そんなこんなで、うっすら夜も明け始めた頃、スタートをむかえました。

火ダルマになりませんようにと御祈りして、5秒前、3,2,1、スタートの合図に全速力で走り出します。大きな石ころは避けて通りながらアクセルは全快、ヒヤヒヤ物でしたが無事ゴールできました。

結果発表では総合2位、最後のスペシャルステージはダントツのトップという結果でした。この時のナビは、向島の沖山歯科医院院長、沖山博一先生です。
もうひとつ、思い出のラリーがあります。雨の中のラリーで、ハイスピード区間で前に遅い車がいて、ぴったり後ろからアオルようなかたちで走っていた時、バンという音と供にワイパーが突然車内に入ってきて、目の前で右へ左へ動いているのです。実は前の車が跳ね上げた石が、私の車のフロントガラスを突き破り、ガラスが粉々に砕けて結果としてワイパーが中に入って来たようなのです。

この時はリタイヤするしかありませんでした。問題は帰りです。たしか長野県からだったと思いますが、下宿のある埼玉まで高速道路で帰ってきました。勿論帰りも雨です。フロントガラスはありません。季節は寒い頃でした。

一般道路ではナビがフロントガラスの無い窓から傘をさして走りました。周りの視線が気になります。今なら、完璧に警察のお世話になっていたでしょう。高速道路ではさすがに傘はさせません。走っていると雨というのは痛いものだと初めて知りました。
ふと、ベリベリッという音に気づき助手席のナビ君を見ると、顔じゅうに粘着テープを貼っているではないですか。彼曰く、雨の痛さに耐え切れず、貼ってみたのだがなかなか調子いいよ、とのこと。

ただでさえガラスの無い車は目立っているのに、乗っている人間まで目立っていたら、絶対帰る前に逮捕されると思いました。

この粘着テープ男は、新潟で開業している永井博美先生です。この車でも数々のイベントに参加しましたが、いよいよ国家試験が近くなり現役引退の時期になりました。スプリンターはこれからラリーを始めるという人にお譲りしました。


  ●ハチロクでお遊び〜トレノ時代〜
次なる愛車No4は,またまたスプリンタートレノGT(AE-86)です。これも楽しい車でした。フロントヘビーだったTE-71より操縦性が一段と良くなってきた感じがしました。今でも人気の車種ですね。このトレノはショックアブソーバーを変えて、LSDを4ピニオンにしただけの改造でして、お遊びのジムカーナに参加してました。

  ●進路の大変更、一転高級車へ。でも、やっぱり…〜ソアラ時代〜
次の愛車No5は、初代ソアラ3.0GTです。もうそろそろ落着いてもいいんじゃないか?ということで、私始めてのオートマ車です。革張りシートです。これまでは泥んこシートでした。

落ち着くかと思いきや、お誘いがあればジムカーナをやっていました。だんだんストレスが溜まります。なんと言おうが遅い。高速道路は真に快適に走るくせに、やはりジムカーナをやるには向いてない車でした。というより、私がこういった車に向いてないのかも知れません。でもこのソアラは10年位乗りました。

  ●もうとまらない4駆路線〜パルサーGTI−R&エボV時代〜
やはりミッション車が欲しい、ということで私の愛車No6は日産パルサーGTI―Rです。溜まりに溜まったウップンをこのパルサーにぶつけました。年甲斐もなくメーカーオプションの派手なラインを入れ、足回りはラリー使用、コンピューターチューンをしてVVCでブーストを上げたりもしました。

しかしサーキット走行をしても、ジムカーナをやっても思うように走ってくれないのです。もともとフロントヘビーでアンダーステア気味の車にラリーサスを組んだため余計にアンダーが強くなり、おまけに、コーナーの途中でいきなりブーストが上がり、パワーが急にドカンと出るので、乗っている方は何処へ行くか分からなくなってしまう様な車になっていました。しかしこのパルサーが今まで乗った車の中で直線の加速は一番でした。
乗りやすい車を求めて、次なる愛車No7は三菱ランサーEVOLUTIONVです。色は懲りずに派手な黄色。葬儀の会場には乗って行けません。足回りはスプリングでローダウンしただけです。お遊びのジムカーナなら、これで充分楽しめます。今はこれで大満足しています。



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